「南の島、八丈には、いまフリージアの花が目もあやに咲きほこっている。
散歩道をゆけば、その先々でかれんなその畑に出くわす…」
こんな文章で始まる1955(昭和30)年3月27日付けの毎日新聞の記事には、フリージア生産で盛んだった当時の八丈島の様子が伝えられている。
記事によれば、フリージアを栽培する人は専業が十数件、アルバイトはほとんど全島民が当たっている、とある。花の生産高は年二千万円、酪農やテングサとともに、いわば「ドル箱」だったという。
すごいのは、島民は5日に1便の船便では待ちきれぬと、八丈島航空輸送農業協同組合を組織し、飛行機を1機買い込んで観賞用植物の空輸を始めたこと。それほど八丈島でのフリージアの栽培は盛んだった。
日本にフリージアが導入されたのは1905(明治38)年ごろとされており、八丈島では今からほぼ100年前の大正2〜3(1913〜14)年頃に栽培が始まったという(東京都島しょ農林水産総合センター八丈事業所の資料より)。戦後はますます盛んになり、最盛期には八丈島産の球根が全国の7 割を占めるなど、フリージアの一大産地となる。
右)「園芸に親しむ者の幸福をつくづく感ずる!」の添え書きがあるのは、戦前の写真。
左)1950(昭和25)年撮影の玉石垣に囲まれた大里のフリージア畑。
東京オリンピックの翌年1965(昭和40)年の
八丈島の来島者数は約5万人。その後の離島ブームにも乗り、
来島者数は年々増加して1973(昭和48)年には21万人を超えた。
八丈島の春を彩るフリージアの花と香りを島の観光宣伝に生かそうと、観光協会主催でフリージアまつりが始まったのは1967(昭和42)年。同年3月5日付けの南海タイムスには「フリージアまつり開催 黄八丈姿のめならべも派遣」の見出しが踊る。
右)第1回フリージアまつりの内容を伝える1967(昭和42)年3月5日付け南海タイムス。
左)翌年の紙面
銀座で花を配るフリージア娘たちと、我先にと手を出す人たち。
この写真は初期のフリージアまつりを振り返る、1982年7月1日付けの南海タイムスに掲載された。
フレンドシップ機が通っていた頃(昭和38年〜48年)の観光パンフ
(八丈町・八丈島観光協会作製)
八丈町と八丈島農協のパンフ「八丈島の観葉植物」の表紙に使われたフリージア畑。
1971(昭和46)年以前の風景だ。
当時の不動産関係のパンフレットには、「春の風物詩」として都道沿いの広大なフリージア畑の写真も載っている。定期便が1日7往復していた全日空の時刻表が掲載されている。
八丈島のフリージア生産は、品種改良なども積極的に行われ、
国内トップシェアを築いた。
しかし、1980年代になると、そうした状況にかげりがみられるようになった。
80年代に入ると、沖縄をはじめとした新たな観光地が脚光を浴び、海外旅行なども手軽となり、八丈島の観光は低迷期を迎える。
1982(昭和57)年9月19日付け、南海タイムス(2119号)
1982(昭和57)年9月19日の南海タイムスには球根がだぶつき気味になり、八丈島の生産量(約6千箱)の2割近い1千箱以上が売れ残るというニュースが載った。この頃、フリージアの球根の主な産地は八丈島と鹿児島県の永良部だったが、国内需要1万5千箱に対して、1万8千箱が生産されたという。
産地間の競争が激化すると同時に、90年代に入ると、検疫の一部が免除され、オランダからの輸入が増加。花の色も多様化していった。
消費の多様化に合わせるように市場にはフリージア以外にもさまざまな洋花が出回り、また、フリージア栽培も、球根から切り花へと変わっていった。
国内のフリージア生産量は90年代前半に80万本ほどだったが、2000年代に入ると激減し、2008年には30万本を割り込むまでに減少した。
八丈島のフリージア生産も、球根栽培が大幅に減少。いつしか島民が島外に住む知り合いに、ひと足早い春の訪れを告げるフリージアの花を贈る習慣が定着し、フリージアは一部の農家による切り花栽培が主体となった。
観光の低迷と歩調を合わせるように、フリージアの生産も減少。
戦前戦後と春先になると島のあちこちに見られたフリージア畑は
年々その姿を消していき、フリージアまつりも、
町が運営する摘み取り用の花畑が中心のイベントとなっていった。
1988(昭和63)年まで、当時の商工会館(現八丈町役場庁舎)前に作られた摘み取り・観賞用のフリージア畑は89年、八形山に1 万坪のフリージア畑を整備して移転。91年には南原の近くの赤石山(現八丈町スポーツ公園近く)へ移動したが、塩害と台風でフリージアの栽培がうまくいかず、たった1年で八形山に再移転することになった。
八丈富士の麓、八形山のフリージア畑
2018(平成30)年4月、フリージアの良さを知ってもらい、需要を再び高めようと、各産地が連携して販売促進活動を展開する「全国フリージア生産協議会」が発足した。販売額がここ10 年間で40%減少していることに、全国の生産者が危機感を強めての動きだ。八丈町でも、昔のような産地の再生こそ難しいものの、露地で咲き誇るフリージアは施設栽培が主体の他産地とは異なる特別な趣だ。
これからも観光客の皆さんをフリージアの花と香りで迎えられるよう、今後は行政が主体になってフリージアまつりを充実させ、八丈島のフリージアを継承していく方針だ。
フリージアキャラバン 関係各所への訪問
露地に咲く八丈島のフリージア。色とりどりの花が青空に映え、甘い香りが漂う。
会場で摘み取ったお花は、ご自宅で生けて春の訪れをお楽しみください。
可憐な花は一輪挿しにしても様になる。花言葉は「あどけなさ」「純潔」「親愛の情」